前田紀貞の建築家ブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 前田紀貞アトリエがバーをはじめました

<<   作成日時 : 2010/02/15 15:01   >>

驚いた ブログ気持玉 34 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
























■典座の経緯
前田紀貞アトリエが東京狛江の事務所そのままの半分を使ってダイニング&バーをはじめました。
店の名前はTENZO(典座)といいます。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~norisada/TENZO/00TENZO_toppage.html


TENZO(典座)とは、僕たちが「建築道」に少しでも近づきたいと思い はじめたものです。
建築道:http://norisada.at.webry.info/200808/article_1.html

その第一段が昨年スタートした「建築塾」であり、そしてTENZO(典座)はその第二段となります。
建築を目指す学生諸君や若い建築家たち、その他一切の物造りに興味あるひとたちが、うちのスタッフたちをも交えて、酒や料理を口にしながら、本音で未来の質実剛健な建築・文化・芸術について問題提起する場(サロン)です。


ここでTENZO(典座)をはじめた経緯を少しだけお話したいと思います。

少し前の建築界には、現象学や存在論を根にして建築を誕生させてゆこう、という骨太な気風がありました。そこには、“建築”が“生きること”と切り離しては考えられぬ、という太い想いが込められていました。

だからこそ建築家たちには、自分の“建築”と“生”を体系的に考える癖が付いていました。建築家の生き様がそのまま建築になってしまう、そういった景色だった訳です。
そういった建築家には、いわば 一冊の分厚い「書物」を書き上げるが如く、建築と己の人生を格闘の中で築き上げてゆこうという気迫がみなぎっておりました。当然のことそこには、大いなる志もあったし、創作者としての腹も座っており、その分、人間としての粒が大きかったといえます。


一方、僕が生業として建築をやるようになってからの建築界の動きを見ていると、それは「書物」であるどころか、「メモ帳」の走り書きをパッチワークのように貼り付けて、とりあえず建築のような顔つきを組み立てる作業に終始しているように見えてなりません。
当然のこと、この事実は僕自身にも当然返ってくることであります。

それは、設計者の生き様とは無縁のところでの、聞きかじりの知識やテクニック、思いつきだけで建築誕生の急場を凌ごうとする風景です。
別の言葉でいえば、建築というものを、己の根(始まり)として捉えるか、花(終わり)として捉えるか、の違いともいえます。

僕たちのいる 新しく幸福な時代は、「僕の考えもいいけれど、君の考えもいいよね」といった物わかりのよい相対主義の時代であることは充分にわかります。
ただ、だからといって、今みたいに建築が雰囲気だけでいたぶるようにして造られてしまっている状況を見ることは、慙愧に堪えません。
そういった物わかりのよさは、本当の意味での深いところからの相対主義とは何の関係もなく、ただ単にそれを履き違えているだけのアマチュアリズムでしかありません。ただのお手軽な手抜き主義でしかない、ということです。
それを僕は「草食系建築」と言っている訳です。
草食系建築:http://norisada.at.webry.info/200906/article_1.html


こんな状況を典座では、皆と考えてみたいのです。
いや もっと言えば、典座を拠点にして、今のそういった甘ったるい相対主義を蹴り飛ばしてやりたいのです。
誰かが、こういった地味な汚れ役、危険なボタンを押す役割を引き受けなくてはなりません。であれば、自分のような馬鹿にはぴったりの役割だとも感じるようになりました。
おせっかいは重々承知のうえです。夜はできるだけ典座におり、建築界の腐敗して甘えた部分に物申してゆきたいと思っています。


■建築塾・大学
しかしながら、第一段でスタートした「建築塾」では、それがある程度、功を奏しているように感じます。
皆、今まで学校で教わってきた建築というもののアマチュア性に気付き、「建築ごっこ」から脱出したいと希望しはじめます。しかもそれは、塾の昼間の演習や講義の時間だけでなく、塾修了後の夜の「宴」の時間の話の中で徐々に、そして時に突然、変わって行ってくれているのです。
画像















この「宴」の素の語らいの場の状況は、塾スタート以前から、色々な学生たちとの宴でも同じ状況でありましたから、塾の「宴」が引き金になったというだけのことかもしれませんが。
であれば そんな「宴」の場をもっと一般に広げてみたらどうだろう。これが、そもそもの、もてなしの場、建築サロン、TENZO(典座)の出発点でした。

でもそんなふうに変わってくれる様子を端で見ていると、建築を勘違いすることの原因は、子供たちの側だけにあるのではなく、僕たちの側が提供する教育の内容、すなわち教育制度にも大きな過失があるのだろう、と痛感する訳です。
子供たちが如何にして本物に近づけるようになるのか、それを親はいつも考えます。叱ることはエネルギーの要ることですが、親はそのエネルギーを惜しもうとはしません。手を緩めることもありません。
建築教育とは、教える側も教えられる側も、そういうことを、本当にどれだけ己の身に真摯に受け止めようとするか、そしてそれに忍耐しようとするか、そういう覚悟なのだと身に染みます。
教える側が、職業でそれをするようでは絶対にいけません。また、その想い方の度合いも“とびきり”で無ければなりません。


■師
僕は、学生の時分、私淑する師(増田友也 氏)から建築の根を叩き込まれたい、その為に己を削られる痛みを敢えて与えてもらいたい、と切望しておりました。
それは正に、“建築”と“生きること”が同じである、という困難な地平であり、それだけに建築の本懐でありました。

だからこそ、これまで 師の道を疑おうとしたことなど、ただの一度もありません。師への懐疑など、こんな未熟な己の中に出てきよう筈もありません。
剣道には、精進の段階を経て「守・破・離」という言葉があります。恐らく僕は、一生、この守を守り続けることになるのだろう、と感じています。師の道を破るだとか、そこから離れるなど、ちゃんちゃらおかしい、と一応は己にて節目は心得ているつもりであります。それほど、立派な人間ではありませんから当然のことです。
そんなことより、まずは師を立て その教えを守る、それだけのことをきっちりやってみたい、そう全身で考えます。
だからこそ、建築道です。


■スタッフの精進
典座は、前田紀貞アトリエのスタッフがすべてのもてなしをします。コックやバーテンダーを専門に雇うことはいたしません。すべて、うちの事務所のスタッフたちが賄いをいたします。
料理と酒は20年以上に渡ってアトリエの宴の席で作ってきたものの中から、旨いものだけをチョイスし更にパワーアップしてみました。

スタッフたちは、建築の仕事の合間をうまく調整し、当番制で市場へ足を運び、開店したら粗相無きよう、一生懸命 仕込みをいたします。そして、いざ開店です。
これらは スタッフたちにとって、人への気遣い、事象全体を見る視力、世界を上手に知る能力、思い上がりをたたき直すこと、そして想像力を訓練する道具になります。
そんなことをしているうちに、自我のまわりにこびりついた泥は、少しずつですが 取り除かれてくれるようになる筈です。男も女も少しずつ上がることになるでしょう。
ここまできて初めて、「建築」ということになります。



設計事務所とバー、この、一見 突拍子もない組み合わせにどんな縁や関係を見出し感じることができるのか、それはその人の“心の視力”によります。

夜空を見上げた時、視力の弱い人には、一等星を見つけるのが精一杯です。ところが、視力のいい人は、同じ空を見つめていても、そこに5等星までも見い出すことができるでしょう。
世界も同じです。同じ風景を見ていても、それが見える者と見えぬ者がおります。
食事や酒の賄いという行為の中に、一体、建築の何を見出せるのか。そこに、人間としてのイキの良し悪しが出てしまうのです。

建築道のひとつには、その“心の視力”を鍛えてもらいたい、という想いがあります。
それができるようになれば、人は、建築という複雑な事象を前にしても、テクニックや浅い知識だけに頼ることはしなくなり、すべての事象を含み込む太さを手に入れることができるようになるでしょう。己の目で見、心で感じることができるようになります。
そうすれば、取るに足らぬ小賢しい“建築ネタ”をわざわざ探し出して、物真似勝負などしよう という姑息が顔を出すことはなくなります。
偶発的な物珍しさだけを演出するような、テクニックだけの「建築ごっこ」に終止符を打つこともできるでしょう。


■義理
さて、僕は学生の時分、師から 大切なものをもらい受けたことに対し、今は亡き先生にお返ししようと思っても、既にそこに先生はおられません。
だからこそ、自分の近くの誰かにそっとお返ししてやるしか、今は術(すべ)がないのです。
典座では、未来の建築界のこと、これから建築に関わる人たちを、微力ながらでも輝かせたい、という気持ちもありますが、もうひとつ、自分の過去を、いやいや、増田友也という師を輝かせたい、と僭越ながらにも思うのであります。
それが義理ということです。

義理とは、“未来”へ向かうものではなく、自分が何かをいただいた“過去”を輝かせることです。
過去というと、凡夫には、“後向きなこと”というイメージで受け取られがちですが、この義理の意味を軽んずることに、今の日本人の大きな資質の乏しさがあります。
今年で50歳になる僕は、これまでの気の利かぬ馬鹿を少しでも直すため、こうして少しでもなにかしらの義理に報いることができたら、と本気で思うところであります。

典座とは、絶対に上から目線の場などではなく、前田を含めた皆の精進の場、「心の目」を開く場であって欲しいのです。建築(そして物造りすべて)を目指す「心の目」というものは、どこかに正解として置いてあって、それをがむしゃらになって手で掴み取るような類のものではありません。
そうではなくて、反対に、既に 誰の中にでもあってしまうようなものなのです。
大切なのは、そうした既に己の中にあるナニカを作動させるスイッチを己自身で押すことができるか、その点だけにかかっています。
皆、誰もが、泥にまみれてしまった「自我」から、丁寧に丁寧にその泥を取り除いていくよう努めることです。そうすれば、その中に、「自己」という輝くような自分が顔を出すようになります。
これを鈴木大拙は「超己」と申します。


■イベント
尚、典座では、今後 週替わり/月替わりのイベントなども企画してゆくことを考えています。むろん、建築以外の人たちは大歓迎です。
日本の未来を危惧する人、近所の人、建築に興味ある人、逆に建築など大嫌いな人。そこに敷居などありません。大切なのは、沢山の人たちの縁を紡ぐことから発生する事件です。
それこそ、前田紀貞アトリエの精進の場であり、集まる人たちの精進の場であるようになればこれ以上のことはありません。


いつも言うように「すべては建築だ」(All Architecture)の通り、建築も、炊事も、哲学も、オートバイも、酒も、もてなしも、芸術も、禅も、数学も、映画も、波乗りも、科学も、音楽も、・・・・・どれもみな建築である、という眼差しから典座は出来上がっています。
これも、増田先生を通して、道元(鎌倉時代の禅僧)から教わったことです。

ですから、店内には建築の模型や写真は勿論、皆が育てられた沢山の書物(哲学、文学、映画、演劇、数学、美術・・・・)、そして過去にやっていたブルース・ロックバンドの時代の音楽、昭和時代のオートバイ(カワサキZ2)や自動車('65年型シボレー)、それにサーフボード等々・・・沢山の思いの品が展示されています。
店の内装施工のすべてもアトリエスタッフで行いました。


ちなみに近々のイベントの予定は以下です。

=コロンビア大学 Proxy & 学生のプレゼンテーション
3月8日の週に、コロンビア大学のアルゴリズミック アーキテクチャーを志す学生たちの集まりがあります(詳細は、TENZOのHPの案内をご覧ください)

=建築系ラジオ
3月14日(17:00〜19:30)に建築系ラジオの収録があります。
コアメンバー/五十嵐太郎、南泰裕、倉方俊輔、松田達、大西麻貴
参加無料、予約なしでどなたでも聴きに来られます。







御来店、お待ち申し上げます。

                     店主 建築家 前田紀貞





TENZO(典座)
東京都狛江市和泉本町1-9-5 グラスハウス1階
03-6682-1929
時間  :19:00〜25:00
休日  :土日・祝祭日


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 34
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い 面白い 面白い 面白い 面白い
ナイス ナイス ナイス ナイス
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
前田紀貞アトリエがバーをはじめました 前田紀貞の建築家ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる