前田紀貞の建築家ブログ

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zoom RSS 「男」を感じさせた建築家

<<   作成日時 : 2006/12/07 14:52   >>

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その老人は、上下純白のスーツ、白いエナメル靴に真っ白なハバナ帽、それに白髪にという出で立ちで何事にも動じない風情の中、静かに現われて来ました。


今から26年前の1980年11月、亡くなる1年前、大学の講演会場に入ってきた瞬間の建築家:増田友也氏(京大名誉教授)の姿でありました。
それは、そこに居合わせた血気盛んな建築少年達には、動物的勘で「こいつ、ただモンやあらへん!!」と血潮騒がせるに充分過ぎ、且つ、「建築家」「大学教授」などという取るに足らない肩書きなんかより、そういう職業分類以前の生な「男として格好いい!!」という気迫を、有無を言わさず僕たちに強烈に植え付けてくれるだけの鬼気迫るものがありました。

僕は「自分にとって、先生と呼べる人が本当に少なかった・・・・」と時として感ずることがあります。
でも、彼の立ち方、座り方、眼光の鋭さ、声、足の組み方、煙草の吸い方、深く刻まれたシワ、うなずき方、ゆっくりと穏やかに人を諭すような話し方、そして、最後にはどんな人をも包み込むようなあの器の大きさ・・・・・、一度たりとも言葉を交わす機会は無かったにせよ、あの日、4階製図室でのそれらすべてを、今でも鮮明に記憶しています。

「格好ええジイサンやなあ! これが増田先生かいな・・・・・・」
大変に失礼な言い方を承知のうえで言わせていただければ、当時ハタチの僕は、これ以上ないくらいシンプルに全身でそう感じていたのであります。

増田氏は、長いシペリア抑留生活を終えて婦国してまもなく大学に戻った後、当時の欧米に土下座するような国内の建築風潮に喝を入れられ、それを「日本の建築空間の質」として軌道修正し世界へと向けて行った人であります。

そしてその晩年、彼の思索は「建築以前」という驚嘆すべき題を持った[退官講義]の思想に至りつきました。
「建築」を志しながらも、その最後には「建築以前」に至ってしまった・・・・・、という文字通りの全き異端であり、終始、群を成すことなく一匹狼、しかし弟子の面倒見のよさには格別のものがあった、と聞いています。
小難しい建築理論を重ねて、一般人には訳のわからない理屈の中で遊技することなく、「住まう」ことの基底(建築以前)へ、常に辿り着こうと自らを強いていたのです。
それは、建築をより専門化し特殊化してゆくこととは逆で、その一番の芯となる骨太な「住まうこと」という、誰の生にとっても一番痛切であり根であるところを決して外さず問い続けてきた無垢で孤独な道のりであった、と言えるでしょう。
だからその最後に至って、「建築とは何か?」という、建築専門外の誰でもが同じように質問でき、その実を知りたい、そういう当たり前で普通な方向に向かって行った訳であります。

ただ増田氏の書いたものを読めば、この「建築とは何か?」がそのまま、「生きるとは何か?」と二重写しで重なっていることも事実です。
それは、彼の建築道が道元の「正法眼蔵」などの存在論に基づいていたことからも当然の帰結であったと言えます。
そしてそれが、結果、彼の生き様の中にゆっくりと凝縮されてゆくことになるのです。

増田氏というのは、建築の道極めるべく、「生きようとすること」についての術(すべ)を、後生の者に示したかったのだろう、と想像するのです。
だからこそそこに、建築だけに留まることなき余韻を感じ取ることができます。


それに較べると、当時、大学にやって来られた数多(あまた)の建築家達は、その有名無名に関わらず、正直あまりに「人間として小粒だった」という印象があります。
彼等からは、建築デザインのこと、建築理論のこと、専門技術のこと、もしかしたらそういう「知恵」は沢山教わったかもしれませんが、でもそれ以上でも以下でもなかった・・・・・・。
そして申し訳ないが、今となっては、その殆どは僕の記憶から消え去ってしまっています。

あの「1980年11月」の増田友也氏のような、特別に教えを乞うことなくとも、その後姿から、建築家というものの生き様、建築という創作の筋、制作態度、人としての優しさ、そういうものをわずか一瞬のうちにして触れられた、という経験は、これ以前にも以後にも皆無であります。
あまりに増田友也という人間の懐の深さは、格違いだった気がします。そこに、多くの言葉は必要ありません。



ただたったひとつだけ、僕がその日の増田氏の言葉で記憶しているものがあります。

それは、「“建築論”というのはどうして必要なのか?」という学生の質問に答えて、「“建築論”なしでも建築はできる。だが、“建築論”なしに【本物の建築】はできない」 というものでした。
言葉無しでも一切を知らしめる程の貫目があったにもかかわらず、それでも言葉に拘った男の姿勢が、そこにありました。
ちなみに、ここでの「建築論」とは、「建築の理論」というような狭いものではありません。もっともっと深いところから、建築や生きることに関して考察するもののことです。


世間の相対主義の中、【本物の建築とは何か?】と大上段に問いかける言葉じたいに、一歩牽いてしまうような高見の視線や照れが呈される時代は、あの頃からも風潮として今と同じでした。
でも、そんな風潮はどこ吹く風、己の信念・信義に満ちた我が道行く姿に、増田友也という男のことを更に「格好ええ!!」と思いました。

どこかお上品で世間とは隔離されてしまっている、決して他者の介在し得ない学府という世界に居る、そういうちぐはぐな気持ちが心のどこかにあった当時、自分の中には、人間として・男としての何か燃え上がるような熱さを、目の前の一人の人間の存在から消えることなく刻み込まれたように思えます。


大学名誉教授でありながら、純白のスーツで祇園を毎夜、豪遊していたという、異端中の異端、建築人生の中で弱きを助け強きをくじくその質実剛健な明治男の粋な姿を、僕は増田先生の強くも優しい後姿にはっきりと見たのでありました。

そこには、伝説となる死に様を背負った筋金入りの建築家が、一切の躊躇なく、建築に己の命を賭けることのできた、そういう正真正銘の凄まじさが垣間見えるのであります。



前田紀貞

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