前田紀貞の建築家ブログ

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zoom RSS 「風景を借りてくる」ということ

<<   作成日時 : 2006/11/01 01:32   >>

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最近できた2つのプロジェクトが、たまたま「借景」という言葉で括ることが可能なものになっています。

上は、静岡県川奈市に竣工した「THEN?」というプロジェクトで、背景の山を「借景」としています。この「空白の庭」に立った時、そこに見えてくるのは、前面にある小室山だけです。
ただ、この「空白の庭」は、夏には緑色に染まり、秋には真っ赤に変化してゆきます。また、冬には葉が落ちて茶色になり、時には雪で純白になることさえあるでしょう。
朝はまばゆいくらいの銀色になり、夕焼け時にはオレンジに染まります。
いつもいつも自然の顔つきをそのまま映し出す装置になってくれています。
また、住まい手の感情や来客の状況も、空間の様子を変化させてくれる大きな要因となります。

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ですから、一見、「空白の庭」ではありますが、「空白」故に、そこには無限のものを映し出すことができるようなポテンシャルが備わっているのです。
まるで、鏡みたいです。
そこには、自然が映し出される。己の意識が映し出される。

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一方、上は千葉県旭市に竣工した「K-8000」というプロジェクトで、周囲に広がる田圃を「借景」としています。
ここも、リビングから見える風景は、前面の田の緑の絨毯と一体化しています。
ここでも、四季を通じた農作業の風景が、住宅の様を決定的に支配してくれるようになっています。

両者いずれも、「いつも同じ顔つきをしている」のではなくて、沢山の要素によって、「時々刻々変容してくれること」が、その特徴です。






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さて、借景とは、その言葉の通り、「風景を借りてくる」ことですね。
有名なのは、京都 円通寺の借景庭園ですが、ここでは、バックに比叡山を借りてくることで、円通寺の庭園は、そこの領域だけに停まることなく、より大きな奥行きを以てダイナミックにその庭空間を広げてゆくことを可能にしています。
それ故、名園と呼ばれる所以です。

でも、「借景」すなわち「風景を借りる」とは、ただそれだけのことなのでしょうか?
つまり、「自分の敷地の庭だけではなく、その前面に恵まれた風景があるので、それを借りてこよう」というたったそれだけのことなのでしょうか?

僕はもっと違った精神的な意味があると考えています。


例えば、演劇を見る時、ある舞台装置が「都会の街」の風景を模した大道具で作られていたとします。
そして、その道端に座った主人公が思いを馳せるのは、自分の「生まれ故郷」の川や夕焼けであること、そういう場面はいくらでもあることです。
こういう時、その演劇を鑑賞する人は、「街の風景」に「田園の風景」を、意識の中で重ね合わせ、それらを同時に重層的に見る という行為をしています。

また、わかり易いところで、「手紙文学」と言われるものも同じ構造で成り立っています。
ある四畳半の部屋で、男が、恋人から昔にもらった手紙を読んでいる場面があったとしましょう。
この本を読んでいる人は、「四畳半の空間」と「恋人と自分が育った東北の山奥の風景」を同時に重層的に知覚するこことで、その文学に深みというものを感じることができるようになる訳です。


また映画で言えば、ジャン=リュック=ゴダールのお得意の「複数のストーリーの同時進行」(全く関係の無い複数のストーリーが、ひとつの映画の中で別個に同時進行するもの)なども、複数の空間(ストーリー)が透過し重層することで、その映像に醍醐味が生まれます。
ゴダールの映像は、そこで複数のストーリーが重層するだけでなく、その無関係な別個のストーリーが偶然に接触しスパークするところに、意外性と新しい解釈の生まれる余地があると解釈されています。
つまり、全く無関係だった空間(ストーリー)に、ある瞬間、突然、火花が散るようにして繋がりが誕生してくるようになるという訳です。



これらはどれも、複数の「風景・映像」を同時に透かして見る、重層的に見る、ということに他なりません。
分かり易く言えば、幾つものダンゴを串刺しにするようなものです。そのダンゴひとつひとつが、味の異なる「風景」であり「場所」ということです。
串に刺さったアンコの付いたダンゴを一個だけ食べるより、醤油味やキナコ味や胡麻味のものも同時に味わった方が美味しいでしょう?

建築でも同じであって、ひとつの部屋・場所に居て、そこだけの風景を知覚するのでは、あまりに平坦でつまらないものにしかなり得ません。
試しに、あなたの今居る部屋を見渡して見てください。
そこから何が見えますか?
恐らく、大方のケースは、「この部屋だけしか見えないよ!」ということだと想像します。「アンコしかないよ!」と同じことです

でも、もしあなたの今座っている椅子から投げかけられた視線が、右側には夕焼け雲のかかった庭、左側には坪庭を通してその奥に浴室、後には細長い植栽の植わる庭、上部には月の覗く吹き抜け、というような複数の場所を捕獲できる場所だったとしたら?
それは、自分が「今ここで」居間に居ながらも同時に、夕焼けに溶けてしまうことができ、月にも届き、浴室に居る家族とも視線の中でコミュニケーションができるような仕組みになっているという図式なのです。

自分はいつもたった一人っきりでたったひとつの場所でひとつだけの風景を見ているのではありません。
重層空間では、いつも、自分は一人ではありながらも、複数の場所に同時に移り住むことができ、他の人と静かなコミュニケーションができていることになります。
いつも、他の場所と他の人と自分は「同居」しているのです。
この「同居」の感覚こそが、空間というものに深みを与えてくれるひとつのとても大きな条件となります。


僕が建築空間を造る時、頻繁にガラスを使う理由がここにあります。
ガラスは透明な性質を持っているので、「ここの場所」と「あっちの場所」を一緒に味合わせてくれることができるからです。
卵は黄身も白身もあるから旨いに違いありません。

人は無意識のうちにも、「幾つもの場所に居るように感じる」ことで、心の奥行きが広くなります。
この時、四畳半アパートの壁(小さな窓)だけに囲われた空間に閉じこめられた人とは、明らかに異なった意識を持ち始めることになります。



僕は学生にも、この「空間の重層性」について、特に強く指導するようにしています。
いつも、空間が複数・重層するように、いつも「層-1」「層-2」「層-3」「層-4」・・・と、できるだけ多くの「場所」が、タマネギの皮のような層となって重なり合って重層して見えるような空間の仕組みを計画するよう伝えているつもりです。
そしてそれこそを「風景」という言葉で呼んでいます。

この「複数の空間の操作」というトレーニングができるようになって初めて、今度は、重層することのない「層-1」だけの空間の組立方法を知ることができるようになります。
100キロのバーベルを持ち上げる練習をしていれば、10キロを持ち上げるのは造作ないことですね。



「借景」に、話を戻しますと、それはただの「前面の風景を借りる」ということだけではない、ということ。それ以上の意識に訴えてくる意味があることが、少しはおわかりいただけたかと思います。

「借景」も、今、記載したような、「意識の中での複数の風景の重層性」こそが、その効果であり狙いであるのです。
これは、とても文学的な方法であります。




先日の「THEN?」の引渡しの日、クライアントとこの「空白の庭」でビールを飲んでいたら、彼から
「前田さんは、この住宅の計画で“暮らし”ということを考えていてくれたことが、今、始めてわかりました」
と言う言葉を聞いた時、恐らく間違いなく彼は、この「風景の重層性」のことを体でわかってくれたのだなあ、と実感した次第であります。

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■THEN?
担当   :西坂智恵、黒瀬直也(前田紀貞アトリエ)
構造設計 :サダリ構造設計室
施工   :長田建設工業

■K-8000
担当   :小久保仁(前田紀貞アトリエ)
構造設計 :サダリ構造設計室
施工   :林建設
                                  前田紀貞



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